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    子どもの行動には理由があります。

    ・発達上必要な刺激や経験を求める行動

    ・家庭や友人などの環境の影響による行動

    ・子ども自らが主体的な選択を行った上での行動。


    どのような行動も子どもが起こす行動には何かしらの背景があり、例え問題行動だとしても子どもを頭ごなしで責める事は良い選択とは言えません。

    子どもへの指導・保育歴が浅いと、子どもが起こす問題行動の表層を見て、起きた事に対しての指導が入りがちです。
    「なんでこんな事したの!同じ事をされたらどんな気持ちになるか分かる?○○ちゃんに謝りなさい!」
    その行動の背景を見ず、問題を解決する経験の機会までも奪い、子どもを思考停止にする関わり方です。


    子どもへの指導・保育歴が長くなると子どもの育ちや想いを組む事が出来るようになってきます。

    叩いたり噛みついてしまうのはうまく自分の気持ちを人に伝える事が出来ない事が考えられる。落ち着きがなくものを投げたり壊したりするのはそういった発達上必要な感覚を求めている事が考えられる。など。

    そういった学びはとても重要で、子どもの育ちを目分量的に測る為に必要です。

    ただ、だからといって問題行動を「この子は今その段階だから」といって見過ごすのは正しいとは私は思えません。

    「この子は今その段階だから」は指導者1人1人の主観によって成り立ちます。

    「この子は今その段階だから」の見積もりが違う場合はあり得ます。

    指導者には学びを反映して関わる事はとても大切ですが、子どもがどのように理解するか、自分の行動を認知するか、工夫して伝える・子どもが分かる事に期待して関わる事が必要だと考えます。

    子どもの育ち上、伝わらない事もあります。

    その時はその時でその子の育ちを認め、受け入れ、未来(理解できるようになる時)に期待して待つ。


    ただ、ボールは投げないと何も始まりません。

    問題行動があったとしても、「この子は今その段階だから」と思考停止になるのではなく、まずは伝わる工夫をするといった目の前の子の育ちと学びを繋げる作業が大切ではないでしょうか。

    JOYアスリートクラブ・個別運動塾きららは、定型発達・発達に課題がある子に関わらず、同じ場にいて共に育つ事を目指しています。

    今の子ども達が大人になる時代ではAIやロボット技術の進展によっていまある職業がなくなる可能性があり、自らの力で仕事や物を作り出す事が必要な時代がやってきます。

    また、発達に課題がある子も年々増えており、文部科学省は共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育の必要性を発信しています。


    (共生社会とは ※文部科学省HPより)
    「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。

    (https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321668.htm)


    こらからの時代は社会的に分断よりも共生し、新たな価値を生み出す事ができる人材を社会は欲しています。


    しかし、これまでの運動・スポーツの価値は勝ち負けにウェイトが乗りすぎ感を否めません。これは指導者や保護者の影響が大きくあるように思います。

    少し前、大阪府の某中学校での組体操での事件がその一端のように思います。

    10段のピラミッドが崩れ骨折した生徒がいたと報道されました。

    私はその後、全国での組体操での怪我の件数を調べましたがとても多くのけが人がいる事が分かりました。

    原因はどこにあるのでしょうか。

    ・指導者の知識不足

    ・保護者のニーズに流され巨大化していった

    この組体操だけではなく、スポーツ全体がこの2つに大きな問題があるように思います。


    ここで疑問なのが「保護者のニーズにながされて巨大化していった」です。

    保護者の方は巨大化する事を本当に欲しているのでしょうか。

    勝ち負けばかり意識しているのでしょうか。

    よりよく成長して欲しいと思う気持ちは誰もが持っている気持ちではないでしょうか。


    これからのスポーツの価値は社会に出た時に活きる経験だという事は間違いありません。

    運動能力や技術の向上のみに留まらず、自分の事を知る認知、人との関わりや人と人とがどのように繋がり、その中で自分がどう動くかといった自分を客観視するメタ認知能力まで意識した内容が不可欠です。

    それには子どもの運動に携わる団体としては

    ・運動分野のみに限定せず学び続ける指導者

    ・そして保護者と共に情報を共有する姿勢

    が必要になってきます。


    インクルーシブで共生的で社会人基礎力に繋がる運動経験、保護者の皆さんにお伝えする事や指導者育成は一朝一夕ではいきませんが、子ども達が健やかに育つ1つのピースになるように努力していきたいと思います。


    今回はまとまりなく書いてみました。落ち着いたらまとめてまた発信します。

    子どもの運動指導も子育ても人の心が関わる事から感情労働な側面が大いにあります。

    思ったように動かない、大人の意図を理解して動いてくれない子どもの姿を見て大人や指導者は自分の思いを抑えなければいけない場面に遭遇します。

    そこで大切なのが、あり方です。

    子どもが育ちに繋がる言葉を選ぶのか、自分の感情を発散させる為の言葉を選んで子どもに伝えるのか。

    子どもの運動指導を行っていると沢山の子ども達に出会います。


    準備していた運動プログラムが通用しないなんて毎回です。運動プログラム優先で子ども達に関わると、思い通りいかない子どもの出会った時に声掛けが粗くなります。

    実際にこんな大人の声掛けを聞いた事もあります。

    「ちゃんとしないさい」命令

    「ちゃんと聞ける子はかっこいいね」価値観の誘導

    「ちゃんとしないと習い事辞めさせるよ」賞罰


    こう書くと、そういった言葉を発した人を責めるような文章に見えますが、大人だって人間なので間違う事もあります。

    もし大人優先になっていると気づいたら、挽回のチャンスです。

    「掌を反す」

    掌を反したように則、声掛けを子ども優先に変える事で子どもの心に刺さった言葉の棘が抜けるかもしれません。


    私たち大人も子どもの頃に大人優先の声掛けに出会う場面があった筈です。

    もしあの頃言われた言葉と同じ言葉を発している事に気づいたら「掌を反したように」言葉を子ども優先に変えてみて下さい。


    掌を反すには2つ意味があるそうです。

    ①手の平を裏返す事のように何の苦も無くやってのける事

    ②急に態度を変える事


    何の苦も無く態度を変える事はなかなか難しいですが、もしそれが出来るようになれば言葉も変わってくるかもしれませんね。

    最近の子は・・・とか最近の若い子は・・・

    ・気づかない

    ・自分から動けない

    ・指示待ち

    よく聞きます。

    大人になって育つ部分もありますが、幼少期からの主体的な身体活動が大きく影響します。

    やってみよう・やってみたら出来るかもといった感覚は自らの身体イメージから予測を立てられます。(それ以外もあるのでしょうが)

    だからこそ豊かな身体活動は必要不可欠です。


    しかし、現代の子は子ども同士が自然の中で駆け回るなどの環境が整備されているわけではありません。

    運動量や活動の質を考えた時に学校や習い事の役割は大きいものです。

    しかし、その大切な時間が

    「大人が管理しすぎた」

    「子どもが自ら思考し、チャレンジする事がない」

    ものであると悲しいものですよね。

    スポーツをやっていても結局は

    ・気づかない

    ・自分から動けない

    ・指示待ち

    といった社会人基礎力が育たないものになってしまいます。逆に育つのは

    ・頭の固さ

    ・トップダウン思考

    ・筋肉脳

    といったかんじでしょうか。


    スポーツをするのは何の為か。それはスポーツを通じて人生を豊かにする為だという事は共通の理解のように思います。

    その為にはスポーツ活動の中にも隙間時間が必要だと考えます。

    隙間時間の中で子どもは自ら思考し、チャレンジする。

    それは大人が思ったものではないかもしれませんが、きっと彼らが成長する為に必要な作業のはずです。

    運動指導をしているこども園の運動会が終了。
    例年と違い、コロナ禍の影響で保育の開始が遅かった事や、子どもの心や体に影響が見られる中、現場の先生方はほんとに頑張っていると感じた運動会でした。
    運動会では家族が見ているので頑張る姿が多くありましたが、家庭では見せない姿を子ども達は園内で見せます。
    運動会という晴れ舞台で子ども達が活き活きする為に、教え込みにならないよう、子ども達が主体的になって練習を楽しめるように努力をされています。
    これについては、見えづらくなかなか気付いてもいづらい部分です。
    跳び箱が跳べた、ダンスが揃った、かけっこで勝った。これらは見えやすく評価しやすい部分です。
    それも大切かもしれませんが、子ども達がどう取り組んだのか、どんな姿になってきたのかといった一見分からづらい部分やあと伸びを期待するといた部分も日々の保育では大切にされています。
    私もこの部分で先生方と連携を取りながら育ちと姿を大切にするといった視点で運動のサポートしています。

    一人ひとり、思いや育ちの違う子ども達に対応する事はとてもやり甲斐のある仕事ですが学びや経験が必要で苦労する部分も少なくありません。

    そんな先生方が、子どもの頑張りを見ながら全員で拍手で応援する姿を見てとても美しく感じました。
    応援される子ども達は幸せだろうなぁ。

    子どもの運動指導は筋力・運動能力の向上だけではなく、教育的側面や育ちを考慮した関りや環境づくりがが必ず必要です。

    ひと昔前は運動経験者が経験則から自らが経験した事や教えてもらった事をそのまま子どもに伝える事が多くあったように思います。

    私の出会った指導者は幸いにも、そういった方ばかりではなく伸び伸びとスポーツを楽しめました。

    現在スポーツや運動の価値は、体力や運動能力だけではなく、学習効果や思考力、生きる力、コミュニケーション能力など人が育つ上で必要とされる、より良い人生を送る為に必要なものという認識が広がってきました。

    そういった多岐にわたる価値のあるスポーツや運動、子ども達にどう伝えるかは指導者が学び続ける必要があります。

    かといって子どもはそんな事を知る由もなく、ただ純粋に成長に必要な感覚や刺激を求め動き続けます。

    動き続ける中で間違いも起こすし失敗もあるでしょう。そんな時、大人は正しく叱る必要が出てきます。その「正しさ」の尺度は人それぞれ違います。

    ある人は友達に手が出た子に雷の如く叱るでしょうが、ある人はじっくり納得するまで話すでしょう。

    それを受け取る子どもの心は十人十色。

    大切なのは子どもがどう受け取るか。そして、その子が大きくなった時に大人から教わった経験から思考し、行動に移せるような気付きになる事。

    叱り方に正しいテンプレートは無いのかもしれません。

    どう育ってほしいかという子どもに向けた眼差しや目的を正しく持つ事は大人に必要なように思います。


    先日、兼業農家である実家に草刈りの手伝いに息子を連れて行きました。

    草刈り中、息子は熱心に蝶を追いかけます。

    追いかけても追いかけても捕まえられない。

    汗だくになりながら蝶を見つめます。

    スポーツでいうゾーンに入った状態でした。

    草にまみれ、脇目もふらず追いかける姿が親としてとても嬉しく思います

    私の教室はこんな姿を沢山見たいのです。

    JOYアスリートクラブは多種目で異年齢が混ざり合う教室です。

    好きな種目・得意な事はそれぞれ違い、それが難しい所でもあるのですが、私はここに子どものうちに経験しておきたい成長があるような気がしています。

    教室で沢山の子がゾーンに入る為には、彼らの事を良く知らなければいけませんし、よく観察しなければなりません。

    だからこそ難しい。

    けど面白い。


    改めて息子の蝶への眼差しから学ばせてもらいました。


    本日現在、新型コロナウィルスによる日本全国への緊急事態宣言の延長が決まりそうです。(5/4に)

    これによりさらに時代は変わりwithウィルスに向かって加速していくような気配がしています。

    全体的に良いものになっていくと思いますし、チョイスが増える事は多様性の確保になっていくのでは。と年功序列・上位下達の社会を経験してきた者として若い世代や子ども達の個性の伸びしろを考えて大歓迎したいと思っています。

    ただ、そのwithコロナ対策が子どもの育ちへの最高のサポートかと言えばハテナが出てきます。

    彼らの育ちはオンラインが十分なのか。
    その伸びで彼らが成長した時に周りを幸せに出来るのか。

    まるで育ちだけ考える事と命を守る事、大きな天秤に乗せられているよう。
    (大げさですが)

    時代は大きな変革の時期を迎えています。
    それも急激なスピードで。

    状況に合わせてベストを見つけるしかないんですがね。

    変わるのはいいけど志は忘れたらいけないと渦巻くコロナ禍の中で考えます。

    急いて急かへん。

    子ども軸は忘れないようにしたいものです。

    4月16日、全国に緊急事態宣言が出てJOYアスリートクラブの本拠地である東広島の学校も休校、スポーツ施設も閉鎖されクラブは休講になりました。

    これ自体はみんなで協力していかなければいけない事ですので、経営がどうとかといった別軸の考えは全く起こりませんでした。

    未曾有のウィルス災害。

    先の見えない状況というのは不安がついて回ります。

    こども達の心と身体はどうなんでしょうか。


    自粛期間も庭や田んぼで遊びまわっている。

    いつも通り学校から学童。

    1人で留守番

    感染防止の為室内でゲームやyoutube

    ご家庭によってこの自粛期間の過ごし方は様々です。


    私がこのコロナ禍の中で、一番気になっているのは、

    人が持つ可能性や思考・身体活動に制限がかかる事

    なんです。

    この自粛期間、自粛だから・・・で止まってしまう事で起こる子どもの育ちの弊害。

    コロナに行動がコントロールされているって何なんだろうとぶつけようのない想いが出てきます。


    だからと言って月日は流れるわけで、育ちは止まってくれません。停滞し、思考と動きが止まり続ける事がポジティブに作用する事はあり得ません。

    私たちに必要な事は、

    いつもと違う状況だからこそ、工夫し、今あるものを組み合わせて新しいものを生みだす行動

    が必要とされています。(Co-ordinate)

    では私にあるもの、ご家庭にあるものの中で作り出せる子どもの育ちに良い事は何か。

    それがyoutubeでアップしている「おうちであそぼう」です。

    子どもは群れ・あそび、その中で主体的に学び育ち、コミュニケーションの手法や会話、行動や運動面の成長が生まれます。

    自粛期間で子ども達が友達とあそぶ事が制限されている中、子ども達にとって安全にあそぶ機会はおうちの中とも言える状況。

    少しでも遊び方や遊びながらトレーニングになる方法を、と思いアップし続けています。

    保護者の皆様、大変な状況でずっと子どもに付き合っていられない日も多い事と思います。

    都合のつく日、気分が乗った日だけでも構いません。動画の中で面白そうなものがあればチャレンジしてみて下さい。



    そしてアフターコロナでもこれまで友達同士関わる時間が取れなかった分を取り返す運動プログラムの準備を現在進めています。

    完成し次第クラブのみならず色んな場所に提供していきます。


    勝ち負けではありませんが、負けないよコロナ。

    子どもの育ちは止めさせない。


    早くみんなと走り回りたい!

    こども同士、自然と起こる競い合いっていいなぁ


    呼吸を合わせてコオーディネーショントレーニングのラディアン。

    小学生クラスは現在年長〜小学4年生までの多学年が一緒の場で運動します。
    それによるメリットは様々で、最大限活かせるようにしたいと思っています。

    その1つが子ども同士の意見出し合い・伝え合いです。

    運動は思考や想いが抜けた瞬間、人としてのトレーニングではなく動物的なものに寄ってしまいます。

    自分の意見を出す、人の意見の汲む、それを自分のものとして新たな価値を創る。うまく情報や動きの組み合わせが出来ること運動能力が高いと言えます。

    とは言え幼い子は自分の主張をどう相手に伝えるかで一生懸命。

    この日もそうでした。
    チームでリレーの順番を決める場面。
    高学年の子達はそそくさと自分の順番を決めて後はほったらかし。残された低学年の子達は戸惑っていました。
    私は全員の意見の聞いてもう一度組み直しをするよう伝えました。
    子どもたちは円になり話を始めます。
    今回は初対面が多く、高学年もモジモジ。
    そんな中、小さな男の子が口を開きました。
    彼はまだ年長さん。

    「僕は足が遅いから早い人の前がいいと思うんだ。頑張るけど僕の後、早い人が来て欲しい」

    小学生よりも遅い事を認め、自分がどうするかを考え意見を出している姿に感動しました。
    彼のプレゼンは分かりやすく的確で、チームの全員が納得して順番を決める事が出来ました。

    (彼が足が遅いと認めるにはまだまだ早く、そこまで思わなくていいよ、とも思いましたが。)

    このような声が沢山出る事で、人と人の違いを受け入れる事が出来る豊かな心が育って欲しいと思っています。

    新型コロナウィルス対策として、小学校・中学校・高校・特別支援学校が休校しています。JOYアスリートクラブとして、スクールを実施するかどうか随分と考えました。

    今ある情報は

    ・小中学校、高校、特別支援学校は休校

    ・保育園、幼稚園、こども園、学童は実施

    ・蔓延防止

    ・休校になる事で蔓延ピークを遅らせ、医療体制を整える


    まず、こども園の中で行っているクラブは外部から園児以外が参加しない為、検温・除菌を徹底して行う事を前提に変わらず実施が決まりました。


    では外部で行っているクラブはどうするか。

    民間の一団体であるJOYアスリートクラブは、実施を個人で判断できます。その為、休校になる前から状況を見て実施で出来るように、体温計・除菌シートなどを用意して開催できるように準備していました。

    しかし、ここにきての休校の指示。子どもの体力や動けない事でのストレスを考えると、出来るだけ体制を整えて実施した方が良いと思いました。

    反面、地域の団体である当クラブは、学校やその他団体が自粛している中実施するわけにはいかないと考えました。

    では実際に決断した際、子ども達にどのように伝えるか。


    【実施の場合】「あなた達の体力低下やストレスを解消する為に多少無理して開催しました。けどコロナになっても自己判断ですよ。」


    【休止の場合】「体力やストレスは後で思う存分発散してあげるよ。休止期間中我慢してくれてありがとう。休んだ事でもしかしたら知らない誰かの為になったかもしれないね。」


    極端な言い回しですが、後者の方が多くの気づきがあるように思います。子どもは本質を見抜く力を持っています。私が関わっている子たちには、小さいうちから行動の背景には沢山の人が関わている事を伝えたいし、深く優しい感性を持ってもらいたいです。


    休止は残念ですが、こういったメッセージを再開後に伝える事で人として大きく成長出来るように思います。

    某タレントが会見の中で

    「再結成は1~99%の中」

    「本人たちが知っていればいい事」

    この2つの言葉を使われました。


    聞いた瞬間、深く教育にも結び付く言葉だと感じました。

    今回はその事について。


    大人や親は子どもがいけない事をやった時、ついつい強く叱る事があります。

    先日私が体験した事です。

    大浴場でバタ足をして遊ぶ子どもにきつく叱ってしまう事がありました。

    「人に迷惑をかけてはいけない」「マナーを守る」

    成長していく上で必要な事です。しかし、叱っているその瞬間の私の内面は、

    「100%反省し、理解して次から同じ行動を起こさないように教育しなければいけない」

    でした。

    叱った後、バタ足でお湯をかけてしまった方に子どもを連れて謝りに行きました。

    その方から帰ってきた言葉は「ええんやで。それより子どもは大丈夫か。えらい怒ってたけど」でした。

    頭をガーンと殴られたような衝撃でした。叱った時に私は子どもの心を考えていませんでした。

    まさに感情の押し付け。

    こんな時はこんな気持ちになれ。こんな表情をしろ。そんな雰囲気を持っていたように思います。

    子どもの運動教室の場ではこどもの感情を誘導しないよう意識していた事が子育てでは勝手が違っていたのに気づきました。

    モンテッソーリ教育の中心と周辺の概念で言う、私は彼の中心に深く入り過ぎていました。


    某タレントが言う事と似て、

    「理解は1~99%の中」(余白が思考を作る)

    「こども自身が知っていればいい事」

    お湯をかけてしまった方・子ども・某タレントからの教てもらったようでした。

    世間には色々な気づきが転がっていますね。